2010年 新年の手紙
2009年一年、おつきあいいただいた皆さんへの感謝を申し上げるとともに、2010年の新年の手紙をおくります。
ちょうどいまから10年前、詩人茨木のり子は、『倚りかからず』という詩集を出しました。そこには、こんな言葉の詩がありました。
倚りかからず
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
2010年がいかなる時間を地上に降らすのか。それは、まったく予想もつかないことです。それは、個人個人によって違うだろうし、砂漠に住む民と海辺の民、極寒に住む人びと、都市の地下鉄のホームで、あるいはビルの狭間の路上で凍える冬をむかえる人びと、戦火のなか、やっと灯った蝋燭の炎にささやかな安息を迎えている人びと、それぞれにおいても、その時間はきっと異なったものであるでしょう。
ただし、未来という時間は、そうしたすべての人びとに、平等にやってきて、否応なしに、ならば、その時間をいかに過ごすか、と聞いてきます。いわば時間という概念には必然的に、そうした人生的な哲学が先験的に宿っているものです。
『倚りかからず』という詩には、人は、できあいの思想や宗教に引き込まれ、学問の権威にあこがれ、権力に添い遂げることで、自己の欲求を満足させようとするのではないか。それが穏やかに鋭い言葉となって表出されています。そして、茨木のり子が、見切ったのはそうした1999年という時点での「この国」の現実だったのだと思います。
それから、すでに10年。毎年わたしたちは新年をむかえるたび、いったいどんな未来の時間を消費してきたのか。10年前に描いた未来とは、わたしたちにとって、どんな現実となっているのか。
思うに、こうして新年をむかえるたび、今年こそ憎悪や差別が薄れ、飢えることもなく、「戦さ」もなく、人を殺すこともなく、平穏でさらに自由で、みんなと感激を分かち合えて、手を取りあって行動し、ともに微笑みあえる未来がくることを祈りつつ、やはり過去をたどれば、悲しく苦渋に満ちた現実が一方で大きな闇となって、ぱっくりと口を開けている現実を思わざるを得ません。
そして、 「倚りかからず」という風に、人は生きてこなかったのではないか。
2010年とは、21世紀となってその10分の1を使い切ったということになります。そして、このあとの10年、人びとは、またその未来をどんなふうに希望し、どんなふうに過ごしていくのか。
いずれにせよ、2009年にさまざまなかたちで、おつきあいいただいたすべての方々に、輝くような2010年という時間が訪れますことをお祈りいたしますと同時に、これからもよろしくおつき合いいただけますこと、そして、さまざまな矛盾や困難をともに考え、行動に結びつけられますように、2010年もよろしくお願いいたします。
八柏龍紀
12月 31, 2009 0. 緊急のお知らせ, 4. エッセイ | Permalink




