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2011年4月 6日 (水)

山は裂け 海はあせなむ 世なりとも・・・

 震災からまだ四十九日もたっていない。まだ喪に服すべき日々のような気がする。「がんばれ!日本」なぞという言葉は、ためらいと慟哭で、とても口を衝いてでてきやしない・・・。

 かつて街であった場所には、ほったらかしにされた瓦礫と季節はずれの寒風にはためくビニールヒモがはためく。もう着ることのかなわないお気に入りの衣服、散乱する木ぎれ、原形をとどめないベビーカー、そしてでこぼこになった自動車、ひっくりかえて腐った魚のはらわたのように剥き出しになった船底、海を流れる屋根、さまざまな記憶をすべて埋め尽くすように土砂に覆われた商店街とストーブが燃えていた部屋・・・。夜になると、そうした文字通りの廃墟が月明のなかで苦しみにこらえるように呻吟している。

 復興を語る口の滑らかさ、深刻げに眉の顰める表情・・・。それらの空虚さと、北国の風雪にも耐えて暮らしていた人びとの心痛は遠い位相にある。地底の奥深くに一条の灯火を見つけ出すのは、避難所の固い地面に身を横たえ、じっと居座る恐怖と不安に身をゆだねた人たちだけだろう。

 山は裂け、海はあせなむ、世とは・・・。

 でも、思うのだ。救われることとは、生きるということとは・・・。それをいままでどれだけ考えてきたか。
 「善意、善意、善意・・・」。「一人じゃない、一人じゃない、一人じゃない・・・」。「ボランティア、ボランティア、ボランティア・・・」。
 それらのリフレインの洪水に押し流されてはいけないものがあるんじゃないか。まずは死を悼みたい。そして生きている意味を問わねばならないと思う。

 鋭利な刃で差し込まれた痛みは、いますこし時が過ぎ、鉛のような鈍痛にとってかわられた。その痛切を記憶として刻みながら、未来という時間に歩き出すすべを考えよう。すくなくとも、これまでの調子づいた時代の流れに沿うことだけは拒絶したいと思う。功利主義と成果主義、自己責任という声高さも拒否したい。原発ももちろん、独占をもくろむ自己実現の意識に対峙しなくてはならない。

*山は裂け・・・の和歌は、源実朝の「山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも・・・」からのものですが、ここではその情景のみが心に映像として顕れたのであって、下の句とあわせて詩句全体の意味とは無関係です。

*それと、最近ツイッターをはじめました。つぶやくというよりは呻いている状態です。<yaga_tatsu八柏龍紀>でやっています。
    http://twitter.com/#!/yaga_tatsu

 

 

 

 

4月 6, 2011 0. 緊急のお知らせ |