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2009年12月13日 (日)

12月14日は自主ゼミ最終講です!

 連絡が遅れまして、すみません。

 明日12月14日は、自主ゼミの最終講義(第10講)となります。これまで論考してきた「平和」という思想を、再度検証しつつ、その可能性についてお話しいたします。

 もう30年くらいにもなりますでしょうか、「揺らぎ」だとか「脱構造主義」、「ニューアカ」なんかが流行っていたころから、「思想」なんてものは、大学での「おたく」教師のファッションとでもいうべきものに堕してしまい、マジで「思想」の意味など考えようというのは、「重く」「暗く」「臭い」などとされてきたようにも思えます。その間に大学などで語られるものは、マックス・ウエーバー的に言えば、資本主義の「鉄の檻」に囲まれた「商売」的なスキル(=技能力)がもてはやされるようになり、危機に対処するありようも、その根幹を見極めてというより、対処療法的なものが、えらく中心的に膨張したように思われます。ま、それはそれでいいのかも・・・ですが、ぼく自身は、「そんなんで、いいのかな」とぼんやりと思い続けてきました。

 まして「平和学」なんかは、下町に住んでいた連中が、いきなり山の手高級住宅街に住むことになったみたいに、えらく「お高い」学問みたいだったり、実感のない、「学問する学問」みたいな感じで、まぁ、ヒマな人がやるんだろう的な感覚をいだいた向きもあるかもしれません。

 でも、これまで9回ほどの講義を積み重ねるうち、やはり歴史はその前景化された思想的営為を光として吸収し、変容してきたんだという思いが強くなりました。今回の講義でお話しした、ジョージ・オーウェル、ユマニェル・カント、マーティン・ルーサー・キング牧師、エドワード・サィードなどの思想を追うと、歴史性とともにその思想が、けっして「現在」という地点に留まらず、未来へとつながる駆動力を内燃エンジンのように備えているのがわかります。それも、高見からのものではなく、人とのつながりである他者性の問題、過去をどうとらえるかという記憶の問題、自分をいかに振り返るか、自分たちの未来には何があってほしか、何があってほしくないのか、そうした日常的であっても、いまにとどまらない動きのある思想が見えてくる印象を持ちました。

 明日は、いよいよ最終講義となります。扱うテクストはヨハン・ガルトゥングのものですが、それを一つの基軸としつつも、これまでの講座をもう一度振り返りながら、受講生の皆さんのご意見などお聞かせ願えればと考えています。

12月 13, 2009 0. 緊急のお知らせ, 2009年度自主ゼミ |