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2009年11月28日 (土)

三田祭講演会のお礼と第九講のお知らせ

 11月21日の三田祭には、たくさんの方々においでいただき、ありがとうございました。時間が短くて、立場の異なる三者の議論が進まなかったこと、そこはとても心残りでしたが、「文学」の可能性については、少しばかりの示唆ができたかと思いました。当日いらっしゃった方には、心よりお礼申し上げます。

 次に自主ゼミですが、来週11月30日は、会館が休館なのでお休みいただき、次回の第九講は、12月7日(月)に開講します

 これまで「平和」について、その実存的な輪郭を明らかにすべく、戦争やテロとの関係性や平和が説かれる場面を踏まえて、「平和」の姿を彫り込むように論考してきましたが、次講は、シュリングの『朗読者』をテクストに、「記憶」という視座から「平和」を考えてみたいと考えています。

 受講生の皆さんには、ぜひレポートの提出をお願いいたします。

 早いもので、あと二回でゼミは終了です。これまで受講生の皆様がそれぞれ考えてきた「平和」の理念と、この後の戦争やテロの抑止をいかにするかというテーマを再度確認いただき。また積極的なご意見をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

11月 28, 2009 0. 緊急のお知らせ, 2009年度自主ゼミ |

2009年11月19日 (木)

ふたたび慶應三田祭【戦後文学と<ポスト戦後>】講演会について

 下記にありますように、慶應三田祭【戦後文学と<ポスト戦後>】講演会(11月21日・土曜・519教室、16時~17時30分)があります。

 「文学かぁ~」といってしまえば、なんとなく入り口が狭い。それに本なんてあんまり読まない、ましてや小説などはほとんど読まない、「ケータイ小説」なども興味がない・・・なんて、実際、わたし自身も最近は海外の文学作品を読む以外、この国での小説や文学などほとんど触れることがないわけですが・・・、

 最近思うには、いまはネットで何でも「知ってる気分」、「わかった気分」でいることのできる世の中になったんだなぁ、って印象です。でも、みんなわかった気分でいることが、逆に不安となっていないか。ホントは深いところで知らないことがいっぱいあるのに、ネットという共通情報装置によって、「まっ、いいや」って感じでスルーしてないか。

 それに、「情報」って、ネタもとの装飾や作為に仕上げられたものなのに、それを鵜呑みにして、安っぽい「受け売り」なんてことに陥っていないか。ふっと、そんな気がしてなりません。

 そんな「世の中=日本=regionalじゃなくて都市部=お受験みたいな先送り幸福論社会=おたくチックな?=安っぽさ・・・」にあって、もしかして「文学」という、むしろ不可視な、曖昧な、象徴性が散りばめられた、それでいてどっからくるかわからない不確定さと読み手と近いようで遠い関係に、それぞれ個々の精神(大袈裟か!)や気分を滑り込ませてみるというのは、「今より」あるいは「ここより」ほかの場所に行ける足腰を作ってくれるんじゃないか。

 20代の頃は、よく文学作品に熱中していました。しかし、あれから、さんざんなことが多くあって、文学どころじゃない。ちゃらちゃらヒマな話なんてしているんじゃないとお叱りの向きもあるでしょう。もちろん、わたし自身のなかにもそんな後ろめたさが少なくない程度にありますが、もし現在の情報社会の閉塞感に一点の針穴を開けるとするなら、暗箱の中にあって、一点の針穴は、それがどんなに小さなものでも、外からの光は強く差し込んでくるように、文学とはなにかの光となるんじゃないか。そんな意味合いで、今度の講演会には臨んでみようと思っています。

 当日は雨との予報。時間もまたたく間に暗くなる16時から。講演会の条件としては、そんなによくないのですが、暗箱の中から見える一点の針穴のように、光が差し込めていけたら、いいなと思っています。

 皆さんのご参集をお持ちしております。

11月 19, 2009 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等 |

2009年11月18日 (水)

【第八講】のお知らせ

 次講は、11月23日(月)で、第八講となります。

 前講では、M・L・キングの思想をたどりながら、「非暴力」「不服従」運動のなかに垂線をおろし、その運動の意味とよってきたる思想のありようについて論考しました。

 対立と象徴、それらが相互にAlternativeな関係性を保ちつつ、相互に浸透し、相互が統合されていく思想の持ち方、さらに現実をいかに考えるか、過去・現在・未来と時間=歴史の中に存在する人間のありようを注視し、つねに現実からの変革と希望を根底においた思想形成のしぶとさに、宗教者としてのキング牧師の率直さを感じさせるものがありました。

 次講は、E・W・サィードをtextとして、可視・不可視、オリエント・オキシダントという対立項の現実を踏まえ、その上にいかなる思想的営為があるのか考えていきたいと思っています。次講もレポートをよろしくお願いします。

 また21日は慶應三田祭で講演会もございます。ぜひご参集いただければと存じます。

11月 18, 2009 |

2009年11月 8日 (日)

【慶應・三田祭】講演会のお知らせ!

        慶應義塾大学三田祭で講演会を行います!

 期日:11月21日(土曜日)で、三田祭2日目の<16時から17時30分>

 場所:慶應義塾大学三田キャンパス519教室

     *JR山手線田町駅、都営三田線三田駅下車徒歩8分

 テーマ:戦争文学と<ポスト戦後>

        ~「わだつみ」から「1Q84」まで

 当日は法政大社会学部教授の鈴木智之さんと、文芸評論家の陣野俊史さんとわたし(八柏龍紀)とで、文学の可能性と、「生き苦しくなっている?」現代社会の問題を話し合いたいと思っています。

 思うに現代の日本の社会とは、コピー(copy)とダウンロード(download)とライン(line)とノード(node)で組み合わされた社会、それがあっという間にできあがった感じがします。

 たしかに最近、自分の回りを見渡せば、面や時間(=歴史)で捉えることが少なくなり、「遊弋」と「無駄」、「異物」が排斥され、清潔でやたらに明るい、言ってみれば、角の取れた高層建築が建ち並び、チューブ型の空間道路が空中を幾重にも交差し、そのなかを無重力カーが走り回るような機能性と利便性に尽くされた近未来世界、几帳面で清潔感があふれ、テロも悪意もbleachされてしまっている世界。そんな世界へ向かっていっている印象があります。その一方で、取り除かれた暗さや陰惨さ、突然吹き出す悪意などはどこに溜め込まれているのか。

 そんなちょっと抽象的ではあるものの、人びとの向かう方向について、戦後および現代文学をネタにして語り合おうというのが、今回の講演会の目的らしい・・・と、わたし自身、勝手に思い込んでいます。    

 話は、けっこう空中を飛び回るかもしれませんが、「浮き世」の、あるいは「憂く世」にあって、なにかの摩擦点を見いだせるかなと思っています。人は、近くで見ていると物事をよくとらえることはできませんが、離れて見たり、ちがう視点から眺めれば、「あーなんだ」と納得することもよくあります。

 そんな講演会になれば・・・と願っています。

 なんたって、三田祭! 賑々しくご来場のほどを!

 

11月 8, 2009 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等 |

2009年11月 3日 (火)

自主ゼミ・第六講について(11月9日講義)

 第五講では、「非戦論」と「戦争」というテーマで、内村鑑三の「非戦論」などをテクストにして、宗教と戦争の関連についてお話ししました。宗教はキリスト教、イスラム教などを問わず、平和主義を標榜する一方で、つねに戦争のお先棒をかついできた印象があります。いま現在も、「Jihad(聖戦)」の名目のもと、テロが頻発している現実があります。その理由はなぜなのか? それを宗教そのものが内包する「Dogma」という視点と「Deductive(演繹的)」な論理に着目して論考し、さらに宗教的粉飾をまとった政治権力のありようも検討しつつ考えてみました。

 さらに、ハンナ・アレントの分析を借りて、「Justification(正当性)」と「Legitimacy(正統性)」の区分の視座から、暴力が結局は不当行為であるが故に、つねに「正当性」を主張しなければならないこと、その反面、権力はつねに正統性を求められることの相互の関係を考えてみました。

 講義は、ますます「平和」という意味へ深く垂線を降ろし、その実存的な意味について論考を進めてきています。次講は、チェ・ゲバラの「革命戦争日記」をテクストに、権力への「抵抗」について、武力反抗の正当性という観点から考えてみたいと思います。

 はたして内村鑑三らの説く「無抵抗主義」とゲバラらのキューバ革命における「ゲリラ」戦争の正当性をどのような「秤」にかければいいのか? そうした問題も含めて、「平和」へのアプローチをはかっていこうと思います。

 それと、11月7日(土)は、いささか早いもののゼミコンを開催するとの運営学生の提案がありました。これまでのゼミでのさまざまな疑問点をお互いに語るいい機会だと思いますので、受講生の方々のご参加をお待ちしております。

11月 3, 2009 0. 緊急のお知らせ, 2009年度自主ゼミ |