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2008年12月31日 (水)

2009年 新年の手紙

 新年 あけまして おめでとうございます

 昨年中のみなさまのご厚情に感謝申し上げるとともに、本年2009年のみなさまに幸多かれという願いをこめまして、心から新年のおよろこびを申し上げます。

 思うに、21世紀はまたたく間にその10年を過ぎようとしています。ちょうど紀元1000年のころヨーロッパでは終末思想が起こり、人びとは不安と懼れのなかで11世紀を迎えたといわれています。しかし、予想された災禍は起こらず、その後、人びとは明るさの証しをしめすがごとく、家の壁を白く塗ることが流行したといわれています。

 現在の南欧の風景をあらわす、紺碧の空と群青の海。その空と海に挟まれ、深緑のオリーブの樹木を引き立たせる白い漆喰で塗られた家々は、そうした伝統を受け継いだものです。実際の白壁は、そこにAzul(=青)を混ぜているがゆえに、より一層の白さが浮きでるようにしているということですが・・・。

 しかし、21世紀の世界に、壁は白く塗られるのでしょうか。いまだに戦火は止む気配はなく、食糧と愛情を求める赤ん坊の泣き声は地上を低く被い、不安げに空を見つめている人びとを押しのけるようにして、価値のすべてを富貴と利益に求める資本という空虚が、隊伍を組んであたりを睨みつけ、優位を囲っているように見えます。感動も歓喜も、そして悲哀や苦痛も売り買いされ、人びとの心に黙しがたく存在する柔らくみずみずしい情緒は、もはやすり切れて「安い」意味のみしか与えられないような光景を目の当たりにすることがよくあります。明るさの象徴だった白い漆喰の壁。それをわたしたちははたして取り戻すことができるか。

 幾たびかの、そして幾億もの希望や期待を受けて、2009年、今日1月1日ははじまりをむかえます。戦火が絶えるために何をすべきか。悪化する地球環境にどんな言葉が必要なのか。そして、人が人を信じ、互いにそれぞれの意味を認めあう世界には、どんな感情が必要なのか。そんなことを、ふと思ったりします。

 いずれにせよ、この年2009年が、みなさまにとって意義深い一年となることを祈念して、つぎのような拙文をしたためました。今年もよろしくおつきあいをお願いします。

  石に刻む

いつのころから 
人類は 
記憶を石に刻み込んできたのだろうか

太古の人びとが描いた アルタミラの壁画
上海のフランス租界の墓地に 刻まれたEpigraph
サラエボの記憶が刻まれた 壁に穿たれた銃痕

二〇〇九年という新年
いまだつづく戦火の咆哮と
夜明けを照らす松明
無智と貧困と あきれるほどの軽薄と 
水平線から昇る太陽

それらを いったいどれくらい
過ぎて行けばいいのか

いつのまにか手から滑り落ちる 記憶にも
一滴の涙ほどの 意味はある
風が吹いてきて 肌を刺す荒野に
佇立する石の記憶

心の底に蓄積されるために
この年もまた 
石が宿す時間に 記憶を刻む

12月 31, 2008 0. 緊急のお知らせ |

2008年12月17日 (水)

【very50】12月21日の講座について

 12月21日(日曜:午後5時30分から7時)に【very50】の講座で、社会活動家としての宮澤賢治についてお話しをします。

 宮澤賢治は、『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』など幻想的世界を描いた童話作家的な印象を、多くのみなさんはお持ちでしょうが、そうした芸術家という側面以上に、「教師」として、「農業技術者」として、または市井の「社会改良家」、あるいは「芸術家」として、東北岩手の風土や人びとと深く交感し、その土地と生活の中で自らのありようを求めつづけた人でした。

 かれをそうした運動にすすませたものは何か。わたしたちは、よく「自分は何のためにあるのか」という問いを必然的に発することがあります。それは、人間のありようが、目的をもって生まれ出たものではなく、人間が、いまの自分をとりかこむこの世界の中で、いかにあるべきかを模索するように運命づけられた存在であるがゆえのことかも知れません。

 それは、サルトルの言葉では「人間の存在は、本質より実存が優先する」ということだと思います。ハサミには、ハサミとしての目的、つまり本質があるけど、人間には、そうしたものが存在しない。

 冬の夜空を見あげていると、澄んだ空気に多くの星が瞬いています。宮澤賢治は、星が送り届ける光に希望を見出し、反対に雲が厚くかかり、雨が降り出した暗い夜空にも、その向こうに星が瞬いていることを、いつも楽しげに語る人だったようです。

 【very50】における2008年の講座はこれで最終講となります。

 詳細は http://very50.com/ です。

    

 

12月 17, 2008 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等 |

2008年12月10日 (水)

2008年秋季宏究学舎は終講となりました+12月14日【very50】について

 2008年秋季の宏究学舎「マルクス『経哲草稿』を読む」の講座は、12月6日を以て終講となりました。いまどきマルクスなんか読まないという若者が多いなか、この難解なテクストに取りかかった受講生の勇気は、おおいに意味あることのように思います。たしかにわかりにくく読みにくいテクストでしたが、そこでの国民経済学批判やヘーゲル批判、および「疎外」論、「止揚」の意味などの論考は、現代社会はもちろん現代哲学を考える意味でも大切なことだったように思います。

 どこかの講演会でお話ししたことがありますが、一人で本を読み、一人で理解に達するのも大切ですが、ある程度の人数で、難解な内容のものを読み解いていくことで、より内容への理解が進むことはよくあることです。一人より二人、二人より三人、三人寄れば文殊の知恵のたとえではありませんが、今回の宏究学舎も、そうした意味で受講生のみなさんには、いい経験になったかと思います。今後も、こうした機会を設けて行きますので、大いにご活用ください。

 ところで、12月14日(日)と21日(日)には、【very50】で、それぞれ『小田実という「現実」』、『宮澤賢治という「実現」』というテーマでお話しをします。小田実については、個人的体験の実現する場としての「時代」との対話について、宮澤賢治については、自己犠牲という思想のありようとその実存的表現について、現代社会の「ありよう」や「生きかた」にそったかたちでお話しできればと考えています。お話しする場所や時間などの詳細については、【very50】のHPをご覧ください。

http://very50.com

 みなさんのご参集をお待ちしています。

         

12月 10, 2008 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等, 3. 宏究学舎 |

2008年12月 6日 (土)

明日の宏究学舎は尾山台地区会館です!

 連絡が不十分になっているかと思います。明日に宏究学舎は、尾山台地区会館ですので、お間違えのないようにお願いします。

12月 6, 2008 |

2008年12月 4日 (木)

【very50】講座のお知らせ(12月7日講義)

 12月7日に前回の「福澤諭吉講座」の第二回目の講義を行います。

 第一回目では、福澤諭吉の思想を「独立」と「実学」という二点に絞ってお話しをいたしました。第二回目は、そうした福澤の思想が、日本の近代という時代のなかで、どのように展開していったのか、そうした視座から、現代のありようを逆写象しようと考えています。

 福澤の思想は、功利主義や文明至上主義、あるいはアジアへの蔑視(とくに「脱亜論」)といった片言隻句で片付けられることが見受けられますが、その思想の源泉をたどっていけば、「noblesse oblige」という当時の士族階級の息づかいが濃密に感じられます。さらにものにこだわらない、福澤のことばでは「惑溺」に陥らない精神性の気高さを保持し、ドグマに陥ることのない精神の健全性を社会や世界の関係性のもとで意味づけようとしています。そうした福澤の思想活動、実践活動は、現代社会において最も欠落した精神の何かを思い出させてくれるように思います。

 第一回目の講座に参加してないかたも、今回の講座ではいわば福澤の現代的な意味を問うわけで、充分に討論に参加できることと思います。お時間がありましたら、参集いただければ幸いです。なお、【very50】のHPは以下の通りです。

     http://very50.com

 ついでに、【very50】では、12月14日(日)、21日(日)もテーマを変えて講義を行います。14日は先日亡くなった小田実について、21日はまだ未定ですが、日本近現代の社会活動家および思想家について、現代的意味を視座に据えながら論考していきたいと考えています。講義は講義として、それ以上に参加者みなさんの積極的な質疑応答こそが、活力と思想の深まりを作っていくように思っています。宜しくご参集いただければと存じます。

12月 4, 2008 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等 |