2008年新年のごあいさつ
2008年あけましておめでとうございます。2007年は多くのみなさまのご厚情をいただき、愉しい一年を過ごさせていただきました。昨年同様、本年もよろしくお願いいたします。 ところで、いつも新年をむかえると、きまって思い出す詩があります。田村隆一の「新年の手紙」という詩がそれなのですが、毎年、その詩をイメージして、下手ながらも詩を書いて新年をむかえるのを、ぼく自身つねとしていました。時間、地球、人間、戦争・・・。詩のテーマは毎年かわりましたが、この21世紀の現在に生存している自分を、新年では他の惑星から、あるいは過去か未来から眺めるようにして、詩を書いてきました。 そんななか、また再び田村隆一の詩の遭遇する機会があり、あらためてこの詩の巨人の言葉を噛みしめたとき、言葉がさまざまに共鳴し反発し、おおきな交響楽のようにぼくの脊髄に響いてくるのを感じました。かなわない・・・。べつに勝ち負けを言っているのではなく、時代の質が異なった空間での別の生き物のような、そんな感慨に拍たれてしまいました。そんなわけで、今年は、田村隆一の「新年の手紙」を、今年の巻頭の辞に置かせていただき、みなさまの今年一年のご多幸と美しい時代をお過ごすできますこと、そして地球上の戦禍がなくなり、悲しみの量がすこしでも減少しますことを祈念して、新年のごあいさつに代えさせていただきます。
元気ですか
毎年いつも君から「新年の手紙」をもらうので
こんどはぼくが出します
君の「新年の手紙」はW・H・オーデンの長詩の断片を
ガリ版刷りにしたもので
いつも愉しい オーデンといえば
「一九三九年九月一日」という詩がぼくは大好きで
エピローグはこうですね―
『夜のもとで、防御もなく
ぼくらの世界は昏睡して横たわっている。
だが、光のアイロニックな点は
至るところに散在して、
「正しきものら」がそのメッセージをかわすところを
照らしだすのだ。
彼らとおなじくエロスと灰から成っているぼく、
おなじ否定と絶望に
悩まされているこのぼくにできることなら、
見せてあげたいものだ、
ある肯定の炎を。』
ナチス・ドイツがポーランドに侵入した夜
ニューヨークの五十二番街の安酒場のバーで
ドライ・マルチニを飲みながら
オーデンがひそかに書いた「手紙」がぼくらの手もとにとどいたときは
ぼくらの国はすっかり灰になってしまっていて
政治的な「正しきものら」のメッセージに占領されてしまったのさ
三十年代のヨーロッパの「正しきものら」は深い沈黙のなかにあったのに
ぼくらの国の近代は
おびただしい「メッセージ」の変容の歴史 顔をかえて登場する
自己絶対化の「正しきものら」には事欠かない
ぼくらには散在しているアイロニックな光が見えないものだから
「メッセージ」の真の意味がつかめないのです
大晦日の夜は材木座光明寺の鐘を聞いてから
暗い海岸に出てみるつもりです きっとすばらしい干潮!
どこまでも沖にむかって歩いて行け!
もしかしたら
「ある肯定の炎」がぼくの瞳の光点に
見えるかもしれない
では
『詩人のノート』(朝日新聞社 1976年)より
12月 31, 2007 0. 緊急のお知らせ | Permalink




