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2006年12月31日 (日)

新年の葉書

   新年の葉書

 飴色のスコッチウィスキーを啜っていると                                                                                                   いつのまにか時間は 新年を迎えていた                                                     眼を閉じれば 記憶のうえに 純白の粉雪が 静かに舞っていた                 

 今年は 亥年                                                               十二年まえのこの時は いったい何をねがっていたのか                                                         過去への思いを落とし 未来に願い託す                                                                    相も変わらず 人は時間で思考するんだね                                         

 夜明けまで あと どのくらいだろうか                                                                     数時間もたてば                                                          暗い闇を破るように 空は紫色の雲に染まり                                                                    地平線のかなたから 橙色の未来が見えてくるだろう

 みなさま、あけましておめでとうございます。昨年中のご厚誼に深く感謝いたしますと同時に、今年もよろしくお願い申しあげます。

 わたしの仕事は、いつも言葉に囲まれ、言葉によって成り立つ仕事です。絵画や彫刻などの造形、あるいは音楽などの表現とは多少違って、語られることで表現され、聞かれたり読まれたりすることで受容される仕事です。ある意味、わたしたちの日常生活でのやりとりともっとも融解しあっている仕事といっていいでしょう。                      でも、2001年のニューヨークでの9・11テロのころから感じているのですが、あのころから世界は、はじめから言葉を拒否しはじめてきたんではないか、という思いがしてきています。話し合う、お互いの意思を通わすということなしに、いきなりの巨大な暴力で破壊する。政治的対立といったことばかりではなく、わたしたちのまわりを見渡しても、言葉の無力を暴き立てるように、いきなりの暴力が登場し、無関係なもの同士はもちろん、親と子どもの間にも禍々しい暴力が突如として行使される。                           わたし自身、ここ数年、言葉で思いを伝えようとするとき、息苦しくてたまらないという回数が確実に増えてきているように感じています。たしかに、言葉は、その人の意図とは違って、他者である誰かを傷つけているのかもしれないわけで、言葉には記号としてだけではない、さまざまな意味行為がともなっています。でも、わたしの感じる息苦しさは、言葉のない世界、あるいは言葉が失われてしまった荒涼とした風景に関わるものです。ちょうど、天上に至るがためバベルの塔の建設をはかった人間が、神の怒りをかい、突然言葉を失い、それぞれがそれぞれでまったく別の言葉しか話せないようになって、巨大な塔が廃墟となり、人類がお互いに殺し合いをするという寓話の恐ろしさに通じたものです。                                                 しかし、そんな絶望的な気分に囚われていながらも、一方で、こうした恐怖がもたらす閉域にとどまっていてもしかたがないなとも感じています。懼れは懼れとしつつ、結局、わたしたちは一人で生きられないように、言葉なしでは生きられない動物でもあるわけで、それがための楽観も許されるように思っています。                                                           2007年がみなさまにとってどんな年になるのか。わたしにとっても何が訪れるのか。それは予想できないことですし、未来はつねに懼れとともなって存在しているかのようです。しかし、そうであっても未来という時間は、現在という時間に必ず呑みこまれます。      ですから、願いますに、すくなくとも言葉がいっぱい交わされ、多少の困難や行き違い、あるいは憎しみが生まれても、言葉がそれを解決するもっとも有効な手段だということを思い続けていくことが大切なように思っています。それが強ばった懼れを解きほぐし、ここ数年世界を覆っている戦争や悲惨を乗りこえる可能性を生むようにも思います。この1年、みなさまが息苦しい思いなどせず、さまざまな困難に解決の方途が導き出されますようにお祈りしております。今年も、お付き合い、よろしくお願いいたします。 

12月 31, 2006 | | コメント (0) | トラックバック

2006年12月23日 (土)

講演会のお礼と、その前の雑感。

 先日、かつての教え子から、インターネット上の人物事典があることを聞いた。それに、わたしも掲載されているらしい。教え子氏曰く、従来の岩波書店なんかから出ている人名辞典と違って、インターネットの参加者によって記事の内容が作り上げられていくという新しい試みとのことであった。それにつけて、かって学生だったときの卒論ゼミでの一光景が思い起こされた。                                            大江健三郎論をやりたいという学生に、主任教授は君はその論文をどこぞの出版社にでももっていくつもりなのか。ならば、君の評論を卒論として受理できない。卒論は、時代性を背景にその作家の文学的意味を論ずるものであり、そこに限界があるものなのだ。つまり、教授の言い分は、その作家がまだ存命していて、いつその文学的意匠を転換していくのかわからないのに、いまの時点で、その作家を評価したり批評することは、君たちの力量からいって不可能だし、仮に書いたとしても、それはいわば当てずっぽうな勝手な解釈であり、そこに学問的価値もなければ意味もない。相手に嘘だといわれれば、それで終わり。そんなものを卒論として指導することはできないというものだった。

  思うに、個人への評価や批評は、相手の個々の作品や行動に限定されるのならともかく、相手が実存している以上は、全体的なものとは決してなりえない。個人は時代とともに変化をとげ、または反対に変化しないことで、存在しているなかで時代が変わり評価や批評が変更されることもある。ましてや内部告発や権力への対抗手段でない限り、匿名性に隠れてそれらが行われてはならない。それは個人の責任性を狡猾に忌避した単にゴシップ(噂か流言飛語)でしかない(週刊誌などのゴシップ記事は、その責任が発行元に帰すが、匿名に隠れたネット上の誹謗や中傷は、責任性が皆無といっていい)。                                                                               近代社会における個人という概念には、最低限、そうした意味合いが含まれていたように思う。 しかし、ネット社会は、こうしたルールをいとも容易く突きぬけていってしまったようだ。それだけ、個人が軽量になり、原子(アトム)化し、他者のどれとも区別のつかない虚無的な意味しかもてなくなったのかも知れない。教え子氏の話を聞きながら、どこの誰かも知れないインターネットの参加者に、自分自身の何ごとかが評価されたり批評されている気味の悪さを感じてならなかった。                                       もちろん、そんな勝手にされていることまで、わたし自身コントロールできないわけだから、勝手にするがいいや、と思っているが、その一方で、この虚無的で責任性のない、いわば透明人間となって愉悦を貪ろうとする低劣さは、時代といって片づけられない、なにか不気味なものを感じる。

 ところで、そんななか、12月17日には姜尚中氏とわたしとでの講演会がおこなわれた。運営学生の話だと120名以上の多くの聴衆が集まってくれたとのことで、よかったと思うと同時に、講演やデスカッションの内容的にも深みのでたものになったと思う。自分自身いろいろ話しながら、思想の襞を幾重にも突き詰めようとすることで生じる難解さを、いかに平明に伝えるか。その難しさを再確認した講演会でもあった。                   姜尚中氏はじめ、学生諸君、そして当日お集まりいただいた多くの人びとに感謝申し上たい。

 それにつけても、2006年もあとわずかになった。21世紀を迎えて、世情を見渡してみると何やら時間が経つのが早まったような気がする。それが、いそいそと終末にむかっての歩みの早さとは別のものであることを祈りたい。          

 

12月 23, 2006 0. 緊急のお知らせ | | コメント (0) | トラックバック