夏の帝国2006年
北国で生まれ育った子ども時代の僕にとって、もっとも待ち焦がれたのは夏の到来であった。春を待つ東北の人びとという定型化した抒情は、子どもたちにとって無縁であった。瞬間の夏の輝きは、子どもの僕にとって、夏の虫たちが光に向かって鱗粉をひるがえし求愛の舞踏をするように、僕らをわくわくさせた。
夏の光は、眼に映る光景を一変させる。 木立のあわいから刺し貫く光の束。一斉に太陽に向かう樹木の広葉を、ちりちりと焦がすように、天から太陽熱が降り注ぐ。 モクモクと入道雲がたち昇り、海は真っ青な永遠として鏡のように僕らを夏の光のなかに包みこんでいく。そして、深い謎のような蛍の光、ジェット機のような銀やんまの滑空。 真っ白なシャツは、いつも陽炎のなかでダイヤのように輝いていた。
言うまでもないが、北国の夏は短い。8月の中旬を過ぎると夏は終わる。海水浴場は閑散とした砂場となって、海の家に染みていた焼きトウモロコシの匂いは、強い潮の香りに消されてしまう。長い雨が、いつのまにか夏の化粧を洗い落としてくれる。
だからなんだろう。夏が終わると、すぐ来年の夏を待ち焦がれる。そして、そうした夏を何度も過ごして、いつのまにか僕は、わたしに変わり、私の中の少年は、面影となって沈殿していった。
そんな思いのなか、今年も学生諸君との高尾山登山の日が近づいてくる。いろんな記憶が錯綜し、さまざまな歩みが思い出される。そこで、今年も一片の詩編を書いた。
道の記憶
熟れた北半球が ザクリと割れて 癖のある 夏草が 繁茂する夏 陽の光は 白いシャツを ぴかぴかに際だたせ 汗で潤んだ瞳は 記憶の河を 遡及する
いったい どれだけの道を 歩いていたのだろうか
ひとりで 歩いた道もある 凍えるような夕陽が 地面を血のように紅く染めていた そこに細長く伸びた 孤独な影 目を伏せて わたしは その道を歩いた
気がつかないまま 大勢の人びとと 歩いた道もある 夏の暑い陽射しが 群集を蒸し上げていた 行けども行けども 逃げ水のように たどり着けない影 徒労とおなじくらいのため息を漏らし わたしは その道を歩いた
春 大陸からの黄砂で 視界が閉ざされた道 夏の哄笑と 冬の叫び 秋 低気圧が人びとを包む 冷たい雨に濡れた道 さまざまな忍耐と希望が交差する道
いったい これから どのくらいの道を 歩くのだろうか 夏は まだ終わらない 道も まだ半ば 過ぎ去った道は 薄れ逝く記憶なのか
そして 聞いてみたい 君たちもまた どんな道を 歩こうとしているのか と
7月 30, 2006 4. エッセイ | Permalink
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