第七講座のお知らせです!
前講では、文明の方法論ということで、統計学についての福澤諭吉の立ち位置と、少数意見についての福澤諭吉のアプローチのしかたがテーマだったと思います。
日本史的に考えると、古代における刑罰は、殺人より田の畦道を破壊する行為が重罪でした。江戸時代では、金10両盗んだだけで死罪でしたし、親殺し主殺しは極刑に処されました。しかし、近代法では、詐欺よりも強盗の方が重罪です。つまり、時代によって刑罰のよって来たる基準が変化することが、ここから見て取れます。 つまり、古代において殺人は私闘なのであり、国家に対する犯罪ではないわけで重罪ではありません。徳川幕藩体制では、盗みは儒教道徳の意味で卑怯な行為です。ましてや親殺し主殺しは儒教道徳的には論外で、それは極刑であらねばならないものです。ただし、現代においては親殺しにあたる尊属殺人罪は、他の殺人と同様で、極刑にはなりません。そこには道徳より事件の構成要件を重んじ、人権確保の近代思想があるからです。詐欺より強盗が重罪なのは、近代法においては丸山眞男も指摘しているように、自由意思を束縛するほどに罪は重くなるわけで、強盗は詐欺以上に個人の自由意思を拘束するわけで、その分罪が重くなると言うわけです。
問題は、こうした時代的な変化にあるのではなく、わたしたちがどの時代に生きているかであり、その場合の社会的意味が、どんな方向に傾斜しているかに関係します。つまり、現時点で判断することは蒙昧な思想しか生まないわけで、そこでは未来や過去を見通す問題の立てかたが求められます。そこで統計学は、われわれがきっとこうだろうといういう先入見を是正するものになりますし、それといつ何時、少数意見が多数を占めるかわからないし、これまでの例を見ると、四大宗教の迫害の歴史を見るだけでも、常に少数者によって歴史は転換されてきたといいっていいでしょう。つまりは大多数の意識の形成のなかで自己を確認し、その一方で少数意見に接近することで、帰納法的に現実を掴むという知恵の必要性を福澤は主張していると見ていいと思います。福澤の統計学へのこだわりはここにありました。
福澤諭吉の思想には、知恵といった強靱さの含み込まれた思想の柔軟性があります。それは状況に迎合したというのとは違う、「惑溺」を排し、「論議の本位」を立てようとする思想的営為が見られるように思います。
ところで、ここ数講座で、発表者の責任性が疑われる状況が続いています。わたしから言わせれば、この程度の責任が果たせなくて、いったいどういった人間形成をはかろうとするのか、きわめて疑問なようにも思っています。学生諸君には奮起を促したいところです。まずは内面を強化しましょう。
次回第7講義は、奥沢東地区会館(6月24日)です。東急目黒線奥沢下車で、線路を越えてファミレスのバーミヤンを自由が丘方向へ超えて、道を右折です。時間は2時30分開始予定です。発表者は生賀君、杉本君、梅澤さん、中島さんです。発表者は責任を持ってレジュメの作成と時間厳守をお願いします。チューターや社会人の方なども、時間を割いて参加しているわけですし、こうした学習は大学などでは十分に行われていません。そこをよく考えて、学生諸君のがんばりを期待します。
6月 21, 2006 | Permalink
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