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2006年6月27日 (火)

第八講(最終講)のお知らせ

 前講で発表いただいた生賀君、高津君、杉本君、中島さん、梅澤さん、お疲れさまでした。一挙に5本でしたので、進行をしていただいたTutorの西田君には、ご苦労をおかけしました。

 今回の発表では、「国体・正統・血統」の章が、現代における「愛国心」問題と重なり重要なテーマだったと思いますが、福澤諭吉の考える「国体」と丸山眞男の抱いている「国体」という微妙なブレが、時代状況の変容とどう斬り結んでいるのか、もっと議論があってもよかったと思いました。また、一般的に、テクストの読みが十分でない場合が散見し、特に一年生には、もっと日常的に読書を積んでおいてほしいと感じました。

 さて、次回は早いもので、最終講となります。発表者は、宮田君吉田さんです。テクスト前半部を総括する意味での発表を期待しております。

 会場は、奥沢地区会館です。前回尾山台と言ったようにも思いますが、正しくは、九品仏駅下車、浄真寺前の奥沢地区会館ですので、よろしくお願いいたします。時間は、2時半からです。なお、当日は打ち上げを予定していますので、お時間の方、よろしくお願いします。打ち上げで、今回の反省も含めていろいろ話ができたらと考えています。

6月 27, 2006 3. 宏究学舎 | | コメント (0) | トラックバック

2006年6月21日 (水)

第七講座のお知らせです!

 前講では、文明の方法論ということで、統計学についての福澤諭吉の立ち位置と、少数意見についての福澤諭吉のアプローチのしかたがテーマだったと思います。

 日本史的に考えると、古代における刑罰は、殺人より田の畦道を破壊する行為が重罪でした。江戸時代では、金10両盗んだだけで死罪でしたし、親殺し主殺しは極刑に処されました。しかし、近代法では、詐欺よりも強盗の方が重罪です。つまり、時代によって刑罰のよって来たる基準が変化することが、ここから見て取れます。                                                 つまり、古代において殺人は私闘なのであり、国家に対する犯罪ではないわけで重罪ではありません。徳川幕藩体制では、盗みは儒教道徳の意味で卑怯な行為です。ましてや親殺し主殺しは儒教道徳的には論外で、それは極刑であらねばならないものです。ただし、現代においては親殺しにあたる尊属殺人罪は、他の殺人と同様で、極刑にはなりません。そこには道徳より事件の構成要件を重んじ、人権確保の近代思想があるからです。詐欺より強盗が重罪なのは、近代法においては丸山眞男も指摘しているように、自由意思を束縛するほどに罪は重くなるわけで、強盗は詐欺以上に個人の自由意思を拘束するわけで、その分罪が重くなると言うわけです。

 問題は、こうした時代的な変化にあるのではなく、わたしたちがどの時代に生きているかであり、その場合の社会的意味が、どんな方向に傾斜しているかに関係します。つまり、現時点で判断することは蒙昧な思想しか生まないわけで、そこでは未来や過去を見通す問題の立てかたが求められます。そこで統計学は、われわれがきっとこうだろうといういう先入見を是正するものになりますし、それといつ何時、少数意見が多数を占めるかわからないし、これまでの例を見ると、四大宗教の迫害の歴史を見るだけでも、常に少数者によって歴史は転換されてきたといいっていいでしょう。つまりは大多数の意識の形成のなかで自己を確認し、その一方で少数意見に接近することで、帰納法的に現実を掴むという知恵の必要性を福澤は主張していると見ていいと思います。福澤の統計学へのこだわりはここにありました。

 福澤諭吉の思想には、知恵といった強靱さの含み込まれた思想の柔軟性があります。それは状況に迎合したというのとは違う、「惑溺」を排し、「論議の本位」を立てようとする思想的営為が見られるように思います。

 ところで、ここ数講座で、発表者の責任性が疑われる状況が続いています。わたしから言わせれば、この程度の責任が果たせなくて、いったいどういった人間形成をはかろうとするのか、きわめて疑問なようにも思っています。学生諸君には奮起を促したいところです。まずは内面を強化しましょう。

 次回第7講義は、奥沢東地区会館(6月24日)です。東急目黒線奥沢下車で、線路を越えてファミレスのバーミヤンを自由が丘方向へ超えて、道を右折です。時間は2時30分開始予定です。発表者は生賀君、杉本君、梅澤さん、中島さんです。発表者は責任を持ってレジュメの作成と時間厳守をお願いします。チューターや社会人の方なども、時間を割いて参加しているわけですし、こうした学習は大学などでは十分に行われていません。そこをよく考えて、学生諸君のがんばりを期待します。

6月 21, 2006 | | コメント (0) | トラックバック

2006年6月13日 (火)

第六講のお知らせ-日曜日にご注意!

前講では、勝又さんから「文明と政治体制」について発表していただきました。要点が整理されていて素晴らしい発表だったように思います。                           ただしここで問題になったのは、二つあります。一つに福澤諭吉のいう「政治的惑溺」とは何かということ、次に「非政治性」についての丸山眞男の言説の意味です。          福澤の言う「惑溺」とは、政治的制度そのものに起因するものではなく、むしろ制度に寄りかかり、それを自明としてしまう態度や既定概念に依存してしまっている状況をさしていると言っていいし、丸山の「非政治性」については、専門的で意識的な政治性ではなく、アマチュアリズムにあり学問や芸術に身を置くもののなかから運動を展開すべきという、肯定的に使用しているのが理解されました。                             しかし、こうした丸山の意味する「非政治性」には情緒や感情というものが介在しているのであって、それらは個人が育んでいると思っているのだが、きわめて集団的な、あるいは国家的・排他的意識があるのではないかという議論がなされました。こうした立場から丸山批判を展開している思想家に姜尚中がいるわけですが、次回は、そうした論議も含めて宏究学舎が展開されることを期待しています。

ところで、次回第六講座は、6月18日日曜日です。会場は尾山台地区会館で、発表者は生賀君、斉藤さん、杉本君です。よろしくお願いいたします。時間は2時30分を予定しています。日曜日であることを、ご注意ください。  

6月 13, 2006 3. 宏究学舎 | | コメント (0) | トラックバック

2006年6月 4日 (日)

第五講のお知らせ

 宏究学舎も早いもので半分を折り返し、次講は第五講になります。先週は、森君、高津君、国分さんの発表ですが、内容的には充実していて、発表者本人とともに受講生にも指標となるような内容だったと思います。先週までで、議論の本位を定める」という福澤諭吉の思想的意味は、ほぼ認識が行き届いたように思います。また「リバティーズ」の意味も思想的雑居との懸隔が十分に認識されたと思います。物事を考える意味で、このテクストはすぐれて知的刺激を掻き立てるものだと、わたし自身も強く思いました。

 そこで次講6月10日ですが、場所はホームグラウンドの尾山台地区会館にもどります。発表者は生賀君と勝又さんです。テクスト第五講の「国体・政統・血統」と第六講の「文明と政治体制」の部分です。しっかりとテクストを読み込むことからテーマを決めて発表していただけますようお願いします。

6月 4, 2006 3. 宏究学舎 | | コメント (0) | トラックバック