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2001年8月30日 (木)

【エッセイ】子どものころの夢

 子どものころの夢を覚えているだろうか。少なくても、わたしはいまも覚えている。絵の好きだったわたしは、絵描きになるのが夢だった。子どものわたしは病弱で体力が乏しく、しょっしゅう風邪やいろんな病気で学校を休んだ。そんな日は、一日中、黙って寝ているしかしようがなかった。
 病気で寝ているわたしから見える光景。枕元から見るふだんは気づかない不思議な景色。なにか意味ありげに広がる天井の隙間やシミ。人の足に踏まれてツルツルになった畳の輝き。障子が開け放たれ、縁側の向こうに見える外の景色。縁側の向こうには小さな庭があって、いつも同じ時間に、きれいなきつね色をしたノラ猫が通りかかる。そして、蒲団に寝ているわたしと眼が合い、ジッとこっちを視ていたりする。庭には餌を啄みにくる小鳥たち。なかには雀に混じって、鮮やかな黒や緑色などの羽を輝かす名の知れない小鳥もやってくる。そして、風邪の熱と眠りとのあわいで朦朧とするなか、遠くから聞こえる優しげな人の声や蒸気機関車の音。夢かまぼろしか。浮かんでは消え、消えては浮かぶ色や音。
 そんな記憶をたどり、気分がよくなると、わたしは、親にねだって買ってもらったスケッチブックに絵を描いた。空想と現実がないまぜになった絵。蒸気機関車に乗るわたし。横にはいつものノラ猫。畳のように輝く平原をまっすぐに伸びるレール。空にはせわしなく飛び回る小鳥たち。そして機関車から吐き出される蒸気の煙。風邪で動けない蒲団のなかで、どんどん広がる想像と自由。
 それから、すでに四〇年。わたしは、もちろん絵描きになれるはずもなかった。絵描きになりたくて、家の近くの画塾に通わせて欲しいと親に願ったこともあった。でも、親はわたしの才能のなさを見抜いてか、あるいは絵描きなんぞ先の見通しのない仕事への忌避からか、わたしが画塾にいくことを許してはくれなかった。たしかに、わたしは絵描きになれなかった。でも不思議なことに、いまでも絵描きになる夢をもったことに後悔していない。そして、その夢をもったことを忘れたくはない。
 誰でも子どものころには、夢を持っていただろう。きみだってパイロットになりたかったこともあったろうし、あなたもケーキ屋さんになりたかったのかもしれない。でも、「現実」を前にして、その夢は、夢で終わってしまったのかもしれない。いまとなっては、子どもっぽいといって片づけているのかもしれない。
 では、いまのきみは、いまのあなたは、どんな夢をもっているのだろう? きみやあなたが思う「現実」を前にして、もう夢を見なくなった? いや、子どものころから、夢などもたなかった?
 若者は、いまある「現実」に怯える。つかみきれない「現実」、視ることのできない「未来」に不安を隠せない。きみやあなたは、そんななかで夢を忘れようとしていないだろうか。子どものころの夢を恥ずかしいと卑下していないだろうか。
 子どものころ見た夢には、打算や妥協、たくらみ、我欲はない。幼い心に宿った夢には、希望や楽しみ、わくわくするような期待があるだけなのだ。夢が夢である純粋さ。わたしたちは、年をとればとるほど、そういうものから遠ざかる。受験生にしても、志望校、偏差値、学部選択、なにもわからない「現実」を前に、いつも「有利」という条件づけで、自分の進路を決めなくてはならないところに置かれている。
 わたしが、絵描きになる夢をもったことを忘れたくない理由。それは、この「現実」のなかで、打算や欲望のない、「有利」さを狙わない、そんな精神を、どこかで宿しておきたいからなのだ。「現実」を前にして怯えるとき、わたしは、ふらりと子ども時代の夢にたちもどる。 

注)このエッセイは2001年8月に載せたものを再度寄稿しております。

8月 30, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック

2001年8月21日 (火)

【エッセイ】夏の参議院選挙~選挙って、なに?

 締め切りに追われ、この原稿を書いている今日は、なんたってこの国の21世紀最初の国政選挙、参議院選挙の日なのである。受験生の諸君の多くは、もちろん選挙権を持っていない? ウ~ン……たまに長く受験生をしている人には20歳の大台にのっちゃた人もいるかもしれないが、ともかく、今日は選挙の日なのである。
 ところで今回の選挙の争点は、ズバリ「改革」。バブル崩壊後の経済的低迷、慢性的財政赤字、官僚主導の土建行政・開発行政などを、いまこそ「改革」しようというのが、各政党・各立候補者の訴え。ライオンハートの小泉の純ちゃん総理も、声を嗄らして「改革」を訴えている。
 思えば、大阪の池田市でおこった小学生殺傷事件や最近やたらに増えてきた幼児虐待殺人事件、外務省のヤリタイ放題使い込み事件など、気の滅入る事件が多くおこっているが、そんな気分を一新し、カラっと明るく、いまの厚い雲のおおわれたような閉塞感を打ち破りたい、それが人々の「改革」への期待感を高めているんだろう。
 それにしても、投票率を上げる意図なのか、視聴率を上げる意図なのか、テレビ局の選挙報道は、ここ数年でメチャメチャ、ショーアップされてきたね。かっては、選挙報道といえばNHKが独壇場で、まじめなそうなアナウンサーが、重々しく正確に選挙結果を伝えるって感じだったんだけど、日テレもTBSもフジもテレ朝も、芸能人を呼んだり、半ばタレント化した政治評論家や政治学者を呼んでのお祭り騒ぎ。しかも、テレビの画面では「当確」「当選」の感動シーンの大写し。まるでスポーツ観戦と同じ感じで「選挙観戦」(?)って状態。っていうか、なんか選挙が軽くなった。
 それに、政党のCMも、すごくなってきた。ベルトをぐーっと締めたり、さむいオヤジギャクあり、党首が張りぼてみたいなロボットに突っ込んだり、コスプレ風な白衣姿で現れたり、いったい誰に向かってコマーシャルしているんだろう。あのCMにどんな政治的メッセージがあるのかな……。なんか選挙が漫画っぽい。
 数年前、若者の投票率の低さに、若者の政治への無関心が問題視されたことがあったけど、その後、若者は選挙に行くようになったのだろうか。君たちにも聞きたいけど、君らは20歳になったら、投票しに行く?
 若者の感覚と「政治」のズレ。いつかドイツに行ったとき、ドイツの選挙戦の最中だったが、選挙カーはなかったし、名前の連呼も聞かなかった。町のそこここには支持者が集会を開き、そこで激しく議論をしている人々はいたが、おおむね町は静かだった。そしていうまでもなくドイツの投票率は高い。
 暑い夏の盛り、都心の盛り場で拡声器の音量いっぱいに候補者は声を張り上げ、喧噪は渦巻きのようにこだまする。テレビは、お祭り騒ぎで、一喜一憂を伝える。「痛みのともなう改革」。今年の流行語大賞って感じのこの言葉は、なにを示しているのか。考えると、選挙はすごく重要なんだ。でも、なんか違う感じだなぁ……。君たちは、この選挙の形をどう思う。さてさて、小言を言っても仕方がない。とりあえず、今日は選挙に行くしかないでしょう・・・。

注)このエッセイは2001年8月に載せたものを再度寄稿しております。

8月 21, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック

2001年8月14日 (火)

【エッセイ】八月雑感…戦いの夏…

 八月。街には強い陽射しのなか、すべてのものから解放されたような若者で満ちている。夏休み。男の子も女の子も、夏は特別な季節なのだ。この夏にこそ運命が変わる。危険な出会い。めまいするようなアドヴェンチャー。そして、ひと夏のチャンス。
 渋谷や原宿には、金髪にブリーチして、目のまわりが真っ黒になるくらいの入念なアイシャドー、濡れて色鮮やかなルージュを引き、金色のラメを輝かし、思いっきり素肌を露出した女の子が、あたかも戦いに臨む戦士のようにテンションを高めて闊歩している。街は女の子のさながら戦場のようだ。
 だが、毎年八月といえば、六日広島に原爆投下。九日長崎原爆投下。そして一五日の敗戦。ザラザラとした雑音に包まれた昭和天皇の玉音放送。「……朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セシムト欲シ……堪エ難キヲ堪エ忍ビ難キヲ忍ビ・・・」。この時期になると、年中行事のように、いつもマスコミを通じて、独特な抑揚のついた昭和天皇の声を耳にする。
 日本人にとっての八月。同時に、かって日本軍の支配下にあったアジアの人々にとっての八月。空襲に逃げまどい、父を夫を兄を弟を、遠い異国の戦場で失った人々。戦場で餓死した無数の戦士たち。一億玉砕を叫び敵艦に体当たりをした若者。そして戦場とされ、家を焼かれ、肉親を殺され、なけなしの財産を失った人々。強制連行された中国人の悲しい眼差し。従軍慰安婦とされた女の子の絶望。八月に呼び起こされる記憶。
 もちろん先の大戦などは、日本史入試の必須事項のひとつって感じの受験生にとって、八月は受験の「天王山」。つまりは、受験と激闘を演じている真っ最中。でも、蝉時雨のなか、雑音だらけの昭和天皇の声を聞くと、歴史のなかの古い記憶がよみがえってくるような不思議な気持ちにならないだろうか。
 そして、夏は高校野球。地区大会一回戦コールド負け。相手との戦いに負けたのではない。自分との戦いに負けたという現実に気づく。なにが悲しいのかわからないが、とまらない涙。勝ちあがった者たちは激闘甲子園! なみいる強豪のなか、一球に青春を燃やす。剛速球。鋭く切れてくる変化球。チャンスに火を噴くバット。ファインプレー。甲子園の暑い戦場で、若者は、ひたむきにひたむきに白球を追い、白球に生命を吹き込む。
 八月。それは戦いの季節。過去の戦いに静かに眼を閉じ、記憶を呼び覚ます季節。激しい照り返しのなか、輝く太陽に身を焦がすようにして、それぞれの戦いの場を求める季節。
 いずれ夏は終わる。戦い終わった高校球児たちは、強烈な記憶とともに、バットを置き、白球を静かにしまい込む。夏祭りの夜。終電で無邪気に眠りこけている女の子。長い夏期講習を終え、ふと暮れかかっている空を見上げる受験生。君は来年の夏をいまから密かに期している。さまざまな戦いの夏が過ぎる。だが、その戦いは君たちにとって、なによりも心の糧になるはずだ。いま君の過ごした八月は、明日の君の記憶となって、君をきっと支えてくれるにちがいない。 

注)このエッセイは2001年8月に載せたものを再度寄稿しております。

8月 14, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック

2001年8月 7日 (火)

【エッセイ】ギ~ラギラ、太陽が~

 お隣の朝鮮半島では、大洪水だっていうのに、日本列島は、知らないあいだに梅雨明けしていて、猛暑の〝夏〟がやってきた。ちなみにここ数日の東京の気温は、三十七、八度はあった。その間、ボクは、エアコンのない家にお引っ越し……。汗みどろになって、ふぅふぅ言いながら、この三日間で、どれだけの水分を採ったのだろうか。みんな汗になっちまって流れだし、汗腺はまさに全開状況。
 よ~く考えてみれば、これが人生で二十一回目の引っ越し。子供のころは転勤族だった父の仕事の関係で七回ほど。上京して大学生になって四回、その後なんだかんだと十回を数える。
 ところで引っ越しの回数といったら葛飾北斎に敵(かな)う者はいないだろう。 宝暦十(1760)年生まれの北斎は、嘉永二(1849)年に亡くなるまでの九十年近くの人生において、なんと九十三回も引っ越しした。まぁ、この人の場合は、とんでもないくらいに旺盛なバイタリティの持ち主で、描いた絵のジャンルは、風景画、花鳥画、人物画、歴史画、戯画となんでもかんでもで、しかも中国の南画から銅版画まで、とにかく取り入れられる画法は全部試し、おまけに、北斎、画狂人、可候、卍、不染居為一などなど、その号も三十回も変えている。
 いまは、「変革の人」で「変人」と呼ばれているんだとか、どこぞの総理大臣が超人気を博しているが、北斎は、同じ処にじっとしていられないほど、溢れんばかりの情熱、創作意欲にギラギラに燃えて いた。いつも「ここより他の場所」を求めて、自分を「変革」し、新鮮な境地、新世界を求めてやまなかったのだと思う。
 さてさて、この猛暑のなか、若者はすこぶる元気のようだ。子供のころ、なんたって楽しみだったのは夏休み。大学生になると 、長い夏休みがやってくる。暑い夏、この時期、若者はなにかをしたいと痛烈に思う。受験生だって、この夏、いままでの自分とは比べられないくらい伸びてやろうって時期なのだ。
 若者にとって、「変革」の時は、暑い夏の時期だ。猛暑のなかで、君の「自己変革」にむけてのバイタリティが燃えだす。それにギ~ラギ~ラと太陽が 、「ここより他の場所」を求めて、君のエネルギーを過熱させる。   

注)このエッセイは2001年8月に載せたものを再度寄稿しております。

8月 7, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック