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2001年5月 8日 (火)

【エッセイ】風薫る五月って……

 風薫る季節、晴れわたった青空が、颯々(さつさつ)とした風を、わたしたちの胸の奥底まで届けてくれる。気持ちがよくってしかたがない。でもその反面、このころは「五月病」って言葉があるように、晴れわたった青空の片隅に自分自身の孤独が影を落としているような、そんな季節でもある。
 この時期、大学ではチヤホヤされた「新歓コンパ」も終わり、期待したより数段つまらない講義が日常的に続き、面白そうだと思って入ったサークルも居場所がない感じがして、おまけに友達も思ったようにはできない。バイトも割のいいのはないし、アレアレッてうちに落ち込んで、ぼーっと、「こんなのが五月病?」って自分自身に思わず聞いてみたりする。 そういえば、去年の今ごろは、浪人の屈辱をはらすべく、必死になって予備校の授業についていったよなぁ……。かーっと燃えていたよなぁ……。日本史のヤガシワどうしてるかなぁ……。
 風薫る五月。「センセイ! 飲みに連れてってくださいよぉー」。そんな大学生がやってくる季節。「オー、元気でやってるかぁ」「大学どうだぁ」なんて応えるわたし。でも、知ってるのさ。君が五月の憂鬱に悩んでるのを。「そっかぁ、じゃ、今日行くかぁ……」
 ところで、わたしは幸か不幸か 浪人せずにすんだ。東北は秋田出身のわたしにとって東京は、まさに「花の都」。都会のスピードについていけなかった。思わず、高校時代の友人に電話をする。今度、メシでも食わねぇーか。「なに言っているんだ。大学生はイイよな」。そうか彼は浪人したんだ。別の友人にTel。でも、その友人は、「悪いんだけど、オレ、サークル忙しんだ」。結局一人。
 わたしの入った大学は、私鉄の駅を降りると、大学の記念館に向かって銀杏並木が立ちならび、右手に折れると広い陸上競技場がある。天気のいい五月。孤独に傷つき講義をさぼったわたしは、だれもいない運動場の芝生で一人ひなたぼっこ。ふと気づくと間抜けな顔をした野良犬が一匹、わたしの隣でひなたぼっこ。可哀想に、誰かがいたずらしたんだろう。犬の顔には、マジックで眉毛が書かれ、目の周りは丸く黒く塗られ、胴体には大学キャンパスの地名にちなんで「日吉丸」と書かれていた。キョトンとわたしの顔を見つめる「日吉丸」。笑うしかない。なんだ、おまえも孤独かい。しょーもねぇーなぁ。野良犬「日吉丸」はすこし臭った。でも、その臭いは、なんかホッとした懐かしい臭いだったなぁ……。

注)このエッセイは2001年5月に載せたものを再度寄稿しております。

5月 8, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック

2001年5月 5日 (土)

【講演予定等】対談「21世紀の教育<21世紀の教師へのメッセージ>」

■概要■
これから教師になろうとしている人々に、教育のもつ困難と、教育のもつ未来性についてのメッセージをおくる。今回の対談は、法政大学教職課程の「生活指導論I」の講義の一環としておこなわれるものです。

■対談者■
菅間正道(自由の森学園教諭、法政大学講師)
八柏龍紀(予備校講師、エッセイスト、東京大学自主ゼミ講師)

■日時■
6月1日(金) 20:00~21:25

■場所■
法政大学58年館6F868A教室

5月 5, 2001 1. 講演予定等 | | コメント (0) | トラックバック

2001年5月 1日 (火)

【エッセイ】Dちゃんの声

 予備校の講師を十年以上も続けていると、いろんな若者と出会う。やたら自信満々なヤツ。調子よく「そーっすよねぇ」と連発するヤツ。あるいは、どーすればいいかって頭を抱えるヤツ。彼らにはさまざまな事情があり、さまざまな癖がある。
 そのなかにDちゃんという浪人生がいた。本名を知るものはほとんどいなかったが 、Dちゃんといえば知らないものがいないくらい予備校では有名だった。Dちゃんはとにかく日本史大好き受験生だった。山川の用語集はすべてそらんじていて、さらに角川の日本史事典の律令官制表から藤原氏や徳川氏などのすべての系図の細部まで暗記していた。授業になると、三百人くらいの大教室で教卓に最も近い机に陣取り、ボクの話しを一言漏らさずメモし、疑問があれば間髪入れずに質問する。まさにDちゃんの座席の部分だけが「濃い」空間となっていた。
 Dちゃんは吃音で声も甲高かった。「セ・センセェー、ちっ・ちがいまぁす」の声が、受験生が寡黙にノートを取っている教室にこだまする。また来たっ……。満鉄の線路幅をごまかすと、「満鉄の軌間は四フィート八インチ半ですぅ」。そんなの受験には出ナイって……。川中島の戦いでは武田信玄の弟が戦死した。「セ・センセー、そ・そっ・それは武田信繁ですぅ」。それは答えなくてもイイって……。Dちゃんは、その有り余る知識を おさえられない。すべてがこの調子だった。
 こんなDちゃんを、一部の浪人生は露骨に嫌い、多くは馬鹿にし、ボクは授業の調子が狂うことにとまどった。Dちゃんは、それに薄々気づいていた。いつか、ボクのところに質問に来たとき、Dちゃんは、日本史は好きなんだけど、アメリカに行きたいと言っていた。でも、こっそり事務の人に頼んでDちゃんの成績をみせてもらうと、日本史はどの模試でもほぼ満点だったが、英語や国語の偏差値は四〇前後しかない。日本には日本史だけで入れる大学などはない。
 受験の結果、Dちゃんはすべての大学に落ちたという。でも、風の便りだと、その後Dちゃんはアメリカに行ったらしい。英語は大丈夫……? 日本史オタクだったDちゃんが、日本を去りアメリカに行く。日本では、まず周りとあわせることが求められる。Dちゃんは、おそらく合わせられない自分にひどく傷ついていたのだろう。
 いまも授業中、ふとDちゃんの「セ・センセェー」という声がどこからか聞こえてくることがある。あれっ、やばい! なにか間違ったかな……。

注)このエッセイは2001年5月に載せたものを再度寄稿しております。

5月 1, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック