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2001年4月10日 (火)

【エッセイ】君たちの眼差し

アジアの一隅にミャンマーという国がある。軍事政権に対し、アウンサン・スー・チー女史が民主化を要求して長い戦いをしている国である。
 数年前、私は、この国の仏教遺跡パガンを訪れた。過酷に照りつける太陽。悠然と時間が流れ、イラワジ川の岸辺に赤茶けた大地が拡がる。そこに廃墟となった仏塔(パゴダ)が無数に散在する。パガンは、13世紀蒙古軍の侵入により滅ぼされた。偶像崇拝を嫌う蒙古は、パゴダの中の仏像を痛々しくも破壊した。
 ふと、一人の青年が、流暢な英語でガイドをすると近づいてきた。私は、法外な金銭を請求されまいかとこの青年を警戒した。青年は、それにかまうことなく、私と歩調を合わせパゴダの説明をはじめた。
 「まいったな」と思ったが、ふとこの青年の英語にアジア訛りがないのに気づいた。君の英語の発音はきれいだけど、カレッジにでも行っているのかと聞いてみた。彼はこう答えた。
 私の家は貧しく、カレッジどころかハイスクールだって行けなかった。子供の頃から、この痩せた土地で農業をしているが、どうしても勉強したい。そこで、ラジオから流れるBBC(英国放送協会)を聞いて、耳だけを頼りに英語をマスターした。パガンは観光地で外国人が訪れる。そこで、こんなふうにガイドをして英語力を研いてきた。将来は、通訳をしたいが、まだ英文を理解できない。ガイドの収入で食いつないで勉強しているという。
 ミャンマーの国民一人あたりの年収は平均 で200ドルほど。アジアでも極貧国に入る。陳腐な物言いだが、かの青年の眼差しは輝きに満ちていた。貧困の中でこそ最も激しく未来の形が求められる。日本の若者は「自分のやりたいことが見つからない」と口にする。豊かさに慣れた言葉だ。日本の君たち若者の眼差しは、いま輝いているか。携帯にしがみついている若者の姿が、むなしく見える。

注)このエッセイは2001年4月に載せたものを再度寄稿しております。

4月 10, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック

2001年4月 1日 (日)

【エッセイ】変身願望について

 人には変身したいという願望がある。それはなにも姿や形での変身にとどまらない。君たちが、弁護士や医者、あるいは作家になりたいなどと思う希望も、現在の自分ではない、何ものかになってみたいという変身願望なのだ。
 ある精神科医の話だが、人間の変身願望には、大きく分けて三つのパターンがあるという。一つは、特権的な力を求める権力志向型、次に憧れる対象に近づきたいという模倣型、三つ目には、現在の自分や周りの環境から脱出したいという逃避型。
 しかし、ここで考えなければならないことがある。たとえば「大学で何をしたいのか」と受験生に質問すると、多くの受験生は、大学に入学しさえすれば、いままでの自分と大きく変わった自分がそこにあるという単純な想像をしている場合が多い。大学に入れば、たくさん友人ができ、英語のほかもう一カ国くらいの言葉ができるようになり、法学部に入れば、司法試験なんかも通過できるくらいの学力がつき、また教養も高まるにちがいないとふんでいる感じなのだ。
 でも、残念ながら、そんなに事態は甘くない。結局、友人はむこうから近づいてくるものではなく、君自身が魅力的であったり、あるいは君の積極的な働きかけがなければ関係は成立しない。語学も司法試験も、大学という環境で解決されることではなく、あくまでも君自身にかかっているのである。
 変身は、誰でも憧れる強い願望である。しかし、変身とは、ある日突然、劇的に訪れるものではない。儚い夢で終わらない君自身の変身は、現在の君自身のあり方そのものによって導き出される結果という形で表現されるものなのだ。

注)このエッセイは2001年4月に載せたものを再度寄稿しております。

4月 1, 2001 4. エッセイ | | コメント (0) | トラックバック